クマコの日常

西ヲタの徒然日記

[Dairy]あれから1年

震度7、M9.0という未曾有の東日本大震災から今日で1年が経ちました。
眠れなくて夜更かししたあの日。
一晩中テレビをつけっぱなしにしていた私の耳に入ってくるのは度重なる地震速報。
気になりつつも、いつも通り仕事に向かい仕事をして、社長が買ってきた
オヤツでも食べようかとお茶を入れに席を立った瞬間でした。
2011.03.11 14:46

下から突き上げるような揺れに「地震?」と認識した次の瞬間に激しい揺れに
襲われ正直立っているのがやっとという状態でした。
社長に「すぐに外に出なさい!」と言われ非常階段を使って何も持たずに避難。
揺れが収まり社内に戻り、テレビをつけると東北で震度7という情報が
映し出されてました。
正直、突然のことすぎて何が起きたのか全く理解できていませんでした。
結局その日は社長の判断により、普段より2時間ほど早く退社。
とりあえず旦那と合流しないと…と思い、最寄りのコンビニで2人分の食料を
買って徒歩で東京から品川へ。

当然、電車は止まり携帯も電話は不通状態。
届くかどうか分からないけど、とりあえず実家の家族と旦那にメールを打ち
歩く事2時間。
何とか品川にある旦那の会社に到着し、合流。
結局その日JRは早々に終日運休を決めたため、何処か休める場所を確保すべく
ツイッターで大広間を開放しているという品川プリンスホテルへ。
けれど、そこには大勢の人々が押し寄せとてもじゃないけど休めるような
状態にはなく移動。
居酒屋で……と考えたものの、居酒屋も既に満杯状態。
仕方がないのでカラオケ屋で一晩明かす事に。
カラオケ屋の方にも「もしかしたら一晩中、営業はできないかもしれない」
…と言われたものの何とか休める場所を確保してホッと一安心。
けれど、一晩中ひっきりなしに鳴り止まない緊急地震速報の音や地震
ゆっくり眠れるわけもなく。
ほぼ丸2日間貫徹状態で翌朝、運転再開した電車に乗って帰路へ。
品川から東京へ移動する間、昨日2時間かけて歩いて道を見ながら
電車がこうやって動く…っていうことは何てありがたいんだろうと実感。
そして東京駅から地下鉄で西船橋まで移動。
西船橋から先の電車は次いつ来るか分からないというので、西船橋から
自宅まで徒歩で帰宅。
途中、スーパーとホームセンターで食材と懐中電灯、ラジオを購入。

何とか家に辿り着き、家に入ると部屋という部屋の物はすべて落ちて
どれだけ揺れが大きかったのかを物語っていました。
ある程度、片付けたところでお風呂を沸かし、ご飯を炊き、テレビを
つけると一夜明け、明らかになった惨状を伝えていました。
とりあえず風呂に入り、仮眠。
眼が覚め、自分が住んでいる街も液状化などの被害が出ていることを
ニュースで知りました。
たった一晩で世界はがらりと変わってしまいました。
テレビに映し出される悲惨な映像の数々、公共CMしか流れないテレビ。
見るのもツラくて、1週間ちょいテレビから離れました。
そんな私の心を癒してくれたのはラジオでした。
ラジオから流れる聞き慣れた曲の数々。
聞いていると落ち着ける耳慣れたラジオDJの声。
誰かと繋がることの出来るラジオという存在に改めて感謝でした。

あれから1年。
被災地は復興に向けて歩き出しました。
でも、復興するまでにはまだまだ長い時間がかかると思いますが
復興して何年か前に見た気仙沼の街並を再びこの眼で見る事ができると
いいなと思います。